親指にささくれができたら、親不孝をしている。
という。
人差し指ならば、母親に。

ワタシの場合、これがなかなか恐ろしいぐらいに当てはまる。
確かに、ささくれが発生した時はその原因に心当たりがあったりするから、迷信と言えどもバカにできない。

だから、今も、心当たりがないわけでは、ない。

*********************


いつもこの季節になると、人の出会いと別れと数奇な運命とを思わずにいられない。
偶然と言う名の必然的な出会い。
今と言う時は未来から振り返って過去としてみないとわからないことが多すぎる。
ワタシがここにこうしているのも、未来から見ると、その未来の自分に繋がるような道を自然と選択していることになるのだという結果論的人生。

ワタシが大阪ではなくて岡山に来ることになったのは、やっぱり、岡山で過ごす一年の方がよっぽど多くの経験だとか出合いだとかを生み出したからなんだろうね。

偶然と言う名の必然と言う奇跡


***************

この生活ももう終わりなのだと考えると、不安で仕方がない。
先の見えない不安。
どこに流れていくのかわからない不安。
孤独という不安。
変化という不安。
不安定という不安。

気を紛らわすかのように毎日誰かと会ってどこかへ出かけ
アタマで感じる快楽に溺れようとしてみても。
不安から逃れられないという、恐怖。
意識は、目の前の現実を見ていない。
(その先にある真っ暗な闇を凝視し、羽根をもがれた青い鳥がもだえる様を無情に感じとる)

**********************

ワタシの行動は、救いようのないほど汚いわけだ。いいのさ、それも偶然と必然。大岡越前。たとえ孤独になったとしても、この程度の傷ならば、いつも自分でつけているし。

携帯を手に取るたびにその思いも伝わるように…

*******************

その「遊び」はカッコなしの遊びだったのだろうか。
コトバでコトバを塗り固め
ウソでウソを封じ込め
片方の手で相手を刺しながら、余った手で相手の手をとって自分の胸にその刃を押し込める。
お互いに。

戦 争

兵士達は、ばかげたことだと知りながら
殺戮を繰り返す。
平和のために。
戦争中だから。
誰かが終わりと教えてくれない限り。
自分の身を守るため。
泣きながら。
傷つきながら。

ダケドモ、ココロノオクソコデハ、ダレカヲコロシタイトイウガンボウガウズマイテイルノカモシレナイ


ちがう。
愛に飢えているんだ。
ただ、抱きしめてほしいだけ。
そのぬくもりを感じたいだけ。



***********************


ワタシがここにいる生産性と
ワタシがここから消えた生産性。

どっちが上なんだろうね?

なんて、考えてしまう。ふぅ。



さて、気合で頑張るしかないね。しくしく。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索