女子トイレにカブトムシ。
2002年12月12日人と対話をする中で、相手の話を聞いて涙を流すことは
同じ情緒を単に体験したに過ぎず
「同情」であって「共感」ではない。
++++++++++++++++++++
さむ。
そんな日に限って、電気設備の点検のため停電。
暖房さえ入らない。
風邪ひいたんちゃうか?本格的に。
まぁ、電気がつかへん真っ暗中で仕事はできず、
パソコンでも遊べず
ずっと読書してました。震えながら。
ヽ(´ー`)ノ マターリ
停電とともに断水。
屋外のSAにあるようなトイレに行ってみる。
洗面台の鏡の前に黒い物体。
か、カブトムシ・・・。
いやぁあああぁぁ。えぐえぐ。
おもちゃ?いや、本物っぽい。
死骸?いやぁああ。
えぐいよぉ。
ってか、何でこんなとこにこんなもんがおいてあんのよぉ。
女子トイレになんでカブトムシがぁ。
誰やねん!!
見学に来たガキか?えっ、ガキの仕業か?
なんで、男子トイレちゃうねん。
それでもって、ここのトイレは合せ鏡なんよなぁ。
ビミョー。
にしても、腰痛い。背中痛い。
関節痛。年じゃのう・・・。
本上まなみも鶴田真由もケコーンすか。
みんな、どんどん電撃するねぇ。
むむう、マジ、ポルノ電撃もあるかもよ、たまきゅん。関係ないけど、明日のいいとものテレフォンショッキングはtake2です。
さて、風呂にでも入るか。
以下、論文リハビリ
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
**********************
朝、ようやくメールの返事が来てお題もろた。
で、とりあえず、みやからのお題で書いてみますた。
にーちゃん、そのまんまのお題やのう・・・( ´ー`)フゥー。
でも、意外と書けたよ、書くことがあったよ。自分でもびっくりさ。
てなわけで、みやは必ず読むように。感想もちゃんと送るように。
例によって、書き終えたあとに推敲なんぞはいっさいしてないからね。
「人見知り」
人見知りは1歳ぐらいの乳児が見知らぬ人を見て怖がることをさすが、3歳ぐらいの幼児が見知らぬ人との接触を恥ずかしがることを言う。だが、成人しても初対面の人とたくさん接するような場面において「人見知り」をしてしまう人も多く存在する。では、成人してからも人見知りをしてしまうというのは一体何が原因なのであろうか。
一つには、先天的な個人の性格に要因があると考えられる。キャッテルの16因子説をはじめてとして、外的なパーソナリティを持った人と内的なパーソナリティを持った人とが存在すると一般的に言われている。外的なパーソナリティを持った人は自ら積極的に人と関わっていきやすい。自分からどんどん声をかけていき「人見知り」をしにくいと考えられる。逆に、内的パーソナリティが人見知りを招いていると思われる。しかし、果たして先天的な性格だけが人見知りを起こしているといえるだろうか。
そもそも、人見知りをなぜ行うのかを考えると、それは、自分を他者からよく思われたいということから起こるのではないだろうか。実際に、他人にどう思われても良いのであれば人見知りなんてしなくてもいいはずである。恥ずかしさも含まれるのだろうが、それ以上に初めて出会った人に悪い印象を与えて、今後その関係を続けるのを避けるために人と話すことを自らしないのである。かつて、自分から話し掛けることによって恥ずかしい思いをしたり、不愉快な思いをするというような経験が人見知りを起こさせる原因でもあるのだ。
ところが、この人見知りとはお互いがお互いのことをまだ何も知らない状態であるにもかかわらず行われるものでもある。他者と話をしないうちから、先に相手に嫌われたり、変に思われたりすることを予測するのだ。そして、その現実ではない自分で考えた予測に縛られ、なかなか人と話すことができなくなるのだと言えよう。
人見知りをしてしまう原因は以上のように主に二つ考えられる。私たちの日常社会は人と人とのコミュニケーションなくしては成り立たない以上、人見知りをせずに過ごすことができる方がより楽しく過ごせるように思われる。相手にどう思われるかを気にしないことは無理である。だが、見知らぬ人に嫌われるかどうかを気にするあまり、その後、お互いにかけがえのない存在となるかもしれない人との出会いを無駄にしてしまうのも残念なことである。人との出会いに感謝して、一人でも多くの人と交流ができればと思う。
********************
ぷは(゜Д゜ )!
机上の空論ってか。
かく言うワタシも人見知りっ子♪
でも、いろんな人と接して人間関係を広めることは大切だと思うし
そうできたらなぁって思ってるのは本当。
井の中の蛙にゃぁなりたくねぇ。
まぁ、そんなとこで、クリスマスパーティー頑張っておくれやす、みや。
同じ情緒を単に体験したに過ぎず
「同情」であって「共感」ではない。
++++++++++++++++++++
さむ。
そんな日に限って、電気設備の点検のため停電。
暖房さえ入らない。
風邪ひいたんちゃうか?本格的に。
まぁ、電気がつかへん真っ暗中で仕事はできず、
パソコンでも遊べず
ずっと読書してました。震えながら。
ヽ(´ー`)ノ マターリ
停電とともに断水。
屋外のSAにあるようなトイレに行ってみる。
洗面台の鏡の前に黒い物体。
か、カブトムシ・・・。
いやぁあああぁぁ。えぐえぐ。
おもちゃ?いや、本物っぽい。
死骸?いやぁああ。
えぐいよぉ。
ってか、何でこんなとこにこんなもんがおいてあんのよぉ。
女子トイレになんでカブトムシがぁ。
誰やねん!!
見学に来たガキか?えっ、ガキの仕業か?
なんで、男子トイレちゃうねん。
それでもって、ここのトイレは合せ鏡なんよなぁ。
ビミョー。
にしても、腰痛い。背中痛い。
関節痛。年じゃのう・・・。
本上まなみも鶴田真由もケコーンすか。
みんな、どんどん電撃するねぇ。
むむう、マジ、ポルノ電撃もあるかもよ、たまきゅん。関係ないけど、明日のいいとものテレフォンショッキングはtake2です。
さて、風呂にでも入るか。
以下、論文リハビリ
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
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朝、ようやくメールの返事が来てお題もろた。
で、とりあえず、みやからのお題で書いてみますた。
にーちゃん、そのまんまのお題やのう・・・( ´ー`)フゥー。
でも、意外と書けたよ、書くことがあったよ。自分でもびっくりさ。
てなわけで、みやは必ず読むように。感想もちゃんと送るように。
例によって、書き終えたあとに推敲なんぞはいっさいしてないからね。
「人見知り」
人見知りは1歳ぐらいの乳児が見知らぬ人を見て怖がることをさすが、3歳ぐらいの幼児が見知らぬ人との接触を恥ずかしがることを言う。だが、成人しても初対面の人とたくさん接するような場面において「人見知り」をしてしまう人も多く存在する。では、成人してからも人見知りをしてしまうというのは一体何が原因なのであろうか。
一つには、先天的な個人の性格に要因があると考えられる。キャッテルの16因子説をはじめてとして、外的なパーソナリティを持った人と内的なパーソナリティを持った人とが存在すると一般的に言われている。外的なパーソナリティを持った人は自ら積極的に人と関わっていきやすい。自分からどんどん声をかけていき「人見知り」をしにくいと考えられる。逆に、内的パーソナリティが人見知りを招いていると思われる。しかし、果たして先天的な性格だけが人見知りを起こしているといえるだろうか。
そもそも、人見知りをなぜ行うのかを考えると、それは、自分を他者からよく思われたいということから起こるのではないだろうか。実際に、他人にどう思われても良いのであれば人見知りなんてしなくてもいいはずである。恥ずかしさも含まれるのだろうが、それ以上に初めて出会った人に悪い印象を与えて、今後その関係を続けるのを避けるために人と話すことを自らしないのである。かつて、自分から話し掛けることによって恥ずかしい思いをしたり、不愉快な思いをするというような経験が人見知りを起こさせる原因でもあるのだ。
ところが、この人見知りとはお互いがお互いのことをまだ何も知らない状態であるにもかかわらず行われるものでもある。他者と話をしないうちから、先に相手に嫌われたり、変に思われたりすることを予測するのだ。そして、その現実ではない自分で考えた予測に縛られ、なかなか人と話すことができなくなるのだと言えよう。
人見知りをしてしまう原因は以上のように主に二つ考えられる。私たちの日常社会は人と人とのコミュニケーションなくしては成り立たない以上、人見知りをせずに過ごすことができる方がより楽しく過ごせるように思われる。相手にどう思われるかを気にしないことは無理である。だが、見知らぬ人に嫌われるかどうかを気にするあまり、その後、お互いにかけがえのない存在となるかもしれない人との出会いを無駄にしてしまうのも残念なことである。人との出会いに感謝して、一人でも多くの人と交流ができればと思う。
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ぷは(゜Д゜ )!
机上の空論ってか。
かく言うワタシも人見知りっ子♪
でも、いろんな人と接して人間関係を広めることは大切だと思うし
そうできたらなぁって思ってるのは本当。
井の中の蛙にゃぁなりたくねぇ。
まぁ、そんなとこで、クリスマスパーティー頑張っておくれやす、みや。
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